読書する女

本を読むこと以外、すべてのことを放棄してしまいたいエディター&ライター、Aliceによる本の話、日々のこと。

BOOK008 『十階 短歌日記2007』 東直子

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この本を手にしたのは、東日本大震災の直後のことでした。
地震の後、日常を取り戻せず、本を読むことに意識的になることができずにいた数日の間の私を救った本が、2冊ありました。

その2冊のうちの1冊が、この『十階 短歌日記2007』です。

3月11日の地震の日まで、私はこの本をいつでも手の届くリビングの棚の上に置いていて朝目覚めたときと眠りに着く前に、2007年の東さんの日々を1日1ページ、つまり短歌一首と、それに添えられた日々の生活を切り取った短い文章をじっくりと味わうように読んでいました。
朝ページを開くときには「私の今日は、どんな1日になるのだろう」と期待感を持って、
眠りに着く前は「私の今日は、こんな1日でした」とその日をかみしめるようにしていました。
不思議なことに、朝と夜とでは、同じ短歌、同じ文章も違った色合いが生まれて、その違いを感じることも楽しみの一つとなっていたのです。

ところが、地震が起きてから、私は自分の日常を失ったような感覚に苛まれるようになりました。
もう、これまでみたいに1日を過ごすことはできないし、どうやって過ごしたらいいのかわからない……という感覚がどんどん大きくなっていきます。
このままでは、自分で自分自身を壊してしまうと感じたとき、ふとこの『十階 短歌日記2007』が目に入り、読むのをやめていた数日分を一度に読み出しました。
しずかに、しずかに、ただ黙々と読み続け、そして止まらなくなったのです。

日常って、決して特別なことじゃなく、特別なことを意識して作られるものではなく、
そこにあるものである、と読み進めるたびに、私は思いだしていました。

自分の意志だけじゃなく、たくさんの生物(人間だけじゃなく)、や風、雨、太陽、
それらが奏でる音によって支えられ、作られているものなのだから、私が躍起になって取り戻そうとしなくても、今、こうしていることが生活であり、日常なんだ。
自分だけが、日常を見失い、迷っていると思い込んでいて、それを自力でなんとかしなくちゃいけないと思いこむなんて、おこがましい。

目の前で起きることに目を見開いて、かかわって、反応していけば、それが日常になるんだ。
私は日常を失ってなんかいなかったんだ。
本を閉じたとき、そう強く確信しました。

どんなにダメな自分のときも、全てを失ったように思える時も、1日は始まり、終わりを迎えます。
終わりを迎えた1日が積み重なって、日常、生活が作られていきます。
そして、新たな1日は、私に生きることを、生活することを求めます。
こうして、私の日常は続いていくのです。
そして、私の日常が私を作っていく……。

私は、1冊の本のおかげで、見失った自分自身を取り戻すことができました。
自分自身を取り戻した私は、また本を読み、日常を積み重ねて、毎日自分を更新していくのです。

そんな風にして、今の私も、できています。