BOOK015 『おんなのひとりごはん』 平松洋子
ひとりで食べ物屋さんに入るのが大の苦手な私。
一人飲みにはまっていた時期もありましたが、それは“独りで来店するお客さんが大半”なお店ばかりでした。
そういうお店は、一人でいることが不自然ではなく、一人で来た者同士仲良くなるケースも多く、一人が苦手な私でも手持ち無沙汰になることがなかっただけこと。
本書には、19編の「一人でご飯を楽しむ女性の話」が収録されています。
読みながら感じたのは、別に無理して一人で食べ物屋さんに入る必要なんてないということ。
『おんなのひとりごはん』というタイトルなのに、どうしてそうなるの?と思われる方もいるかもしれませんが、この本を読むと「おひとりさまって格好いい」などどいう甘っちょろい動機で一人ごはん、一人飲みに挑戦しても、結果ものすごく格好悪いおひとりさまができあがるだけだと痛感させられます。
本書に登場する女たちは、
「どうしても、●●が食べたい」
「こんな時間だし、家に帰って作るのも面倒だし、かと言ってコンビニ弁当じゃ……」
と、食べることへの欲求に突き動かされて行動した結果、たまたま一人だっただけで、そもそも一人かどうかなんて大した問題にしていません。
おひとり様を楽しもうなんてことを考えてすらいないのです。
もちろん、一人客だからこそのマナーも必要になってくるのですが、それも当然、ごくごく自然に身についている……。
結局、私みたいな一人が苦手な人間が
「おひとりさまって格好いいと思うの」
なんて気取ってみるのが、一番見苦しい存在なのです。
一人を楽しむことが優先事項なのではなく、やりたいことをやろうとしたら(食べたいものを食べようとしたら、見たい映画をみようとしたら、などなど応用はいろいろ)というのが最優先。
たまたま一人だっただけ。
背中がすっと伸びるような1本の筋が、おひとりさまの初歩段階では絶対に必要なのだと思います。
年齢なんて、まったく関係なし。
ポリシーを持った“おひとりさま”経験を積み重ねて初めて、もしかして「ひとりって、いろいろできるかも」という境地にたどり着き、一人がさまになる雰囲気が自然と身にくのかもしれません。
私が“おひとりさま”を名乗るのは、まだまだ早すぎるみたいです。
私が、Twitterやブログであまり言葉を書かなくなった理由。
このところ、めっきりブログの更新も、Twitterへの投稿もしなくなったなと薄々気がついてはいました。
私は、その理由を“忙しさ”にあると決めつけていたのですが、もしかしたら、違うのかもしれません。
たしかに、このところ、とても忙しい日々を送っていました。
人材不足に悩む某女性誌の編集部のお手伝いをするようになって、1年半少し……。
月に2回の校了、月に4回の企画会議に追われ、本を読む時間もとれない状態がつづいているのは事実です。
でも不思議なことに、本を読めないストレスはあるものの、言葉を書けていないストレスはあまりありません。
ちょっとした思いつきや、ため息とともに飲みこんでしまいがちな感情を投稿していたTwitter。
Twitterでは書ききれない、少し大きめな想いや記録はブログに。
そうすることで、私は感情や思考を整理して、なんとか自分をたもっている部分もあります。
書くことで、私は私でいられていると言っても過言ではないくらい。
ところが、Twitterやブログの投稿がめっきり減っているのに、私は自分でいられているし、いろんなことが整理できている。
その理由は、1つしかありません。
Twitterとブログ以外の場所で、言葉をたっぷりと書いているから。
そう、手帳です。
2017年、私は久しぶりに手帳を「ほぼ日手帳 カズン」に戻しました。
その重さと、“ほぼ日手帳フィーバー”的なものが世間に溢れていることに辟易して、4年ほど手帳を浮気をしていたのでした。
近年になり、世間は別にしても私の周囲における“ほぼ日フィーバー”は、「使いこなせなかった」という多くの声とともに収束。
復活させる決意を固めたのです。
そしていざ使いはじめてみると、私はこの相棒を手放せなくなりました。
会社でも、家でも、その日のページを開いた状態でいつも手元に置いています。
最近では、寝る前の枕元でも開いているほど。
そう、私がTwitterやブログで言葉を書かなくなったのは、手帳に書くようになったからなのです。
しかも、手書きの効果は大きく、感情の発散効果も思考の整理効果も格段にアップしている様子。
そのときの感情のままに手帳に書きなぐった文字を眺めながら、Twitterやブログがこの世からなくなってしまったとしても、私には“紙に書く”という最終手段があるから大丈夫。
ほっと胸をなでおろすのでした。
いつかのお買い上げ本。
本屋さんに足を運ぶ時間はなんとしても死守していましたが、買った本を記録する手間はかけられずにいた、この数ヶ月。
しっかり本を買いつづけています。
読書する女ではなく、本を買う女と名前を変えたほうがいいのではないかというくらい買っていました。
後追いになりますが、少しずつ記録をしていこうと思います。
ということで、ふらりと立ち寄った紀伊國屋書店 大手町店でのいつかのお買い上げ本です。
⚫『N女の研究 』
中村安希 フィルムアート社
職業柄、NPOを立ち上げたり、NPOで働いていたりする方に取材をする機会は多々あります。
彼らの話を聞いていると不思議と湧き上がってくる思いがあるのですが、その正体が自分でもわからずにいて、その答えが見つかることを期待して、お買い上げです。
⚫『ブロンテ姉妹の抽斗 物語を作ったものたち』
デボラ・ラッツ 柏書房
ブロンテ姉妹といえば、イギリスのヴィクトリア時代を代表する、シャーロット、エミリー、アンの3姉妹のこと。
シャーロットは『ジェーン・エア』を、エミリーは『嵐が丘』を、アンは『ワイルドフェル屋敷の人々』を発表し、イギリス文壇に多大な影響を与えたといわれています。
そんな彼女たちが物語を紡ぐ傍らにあったものについてのお話だんて、とってもロマティック!
迷うことなく手に取りました。
⚫『社史の図書館と司書の物語 神奈川県立川崎図書館社史室の5年史』
高田 高史 柏書房
フリーランスの編集、ライター稼業をしていると、企業のパンフレットや広報誌などのお仕事をすることもあります。
雑誌や書籍の仕事とはまた違った味わいがある企業モノですが、社史となるとこれまた話は違ってくるに違いありません。
さまざまあ図書館があるなか、社史の図書館だなんて気になります。
とっても気になる1冊です。
Word010 いつか、あなたと出会うまで。
人は簡単に間違い、簡単に雑踏の中で大切な相手を見失う。
悲しいけれど、たくさん間違えて、たくさん見失う、しかないのだと思います。
生きてると、そんなことの繰り返し。
でも、たくさんたくさん間違えて、たくさんたくさん見失って、それでも、いつか、本当の答えや、本物の人と出会いたい。
そう祈りながら、きっと私は今日もまた、間違いを犯し、何かを見失っているのでしょう。
マイペースが、とりえなの。
気がつけば、1ヵ月以上もブログを放ったらかしにしていました。
本を読む時間はほぼないくせに相変わらず本を買いつづけ、積読本の山をますます高くしている日々を送っています。
本を読めないストレスを、本を買うことで晴らそうとするのは、昔からの性分。
どうしようもありません。
そしてもうひとつ、どうしようもないのが、かなり頑固なマイペースっぷり。
いろいろと思いついては行動し、とたんに興味を失うこともあれば、あまりに興味を持ちすぎてしまって、原稿の〆切ギリギリなのにあれこれ調べたい熱が収まらなくなったり……。
気分と好奇心の赴くままに、自由に、マイペースに、それが私のとりえなのです。
というわけで、1ヵ月も放ったらかしにしていたブログですが、またぼちぼち更新していこうと思います。
この1ヵ月の間に買い込んだ、大量の本もアップしなくっちゃ。
誰かに読んでもらうためというよりも、自分の記録としてのブログでもいいじゃない?
いつかのお買い上げ本。
仕事を調整して、早めの年末年始休暇をとった昨年。
お休みの間にたくさん本を読むぞ! という固い決意のもと、本屋さんに行っては本をあれこれ買い込んだのでした。
「そのうち、どれだけの本を読んだの?」
とか
「積読の山は、少しでも低くなったの?」
なんて聞かないでください。
だって、結果は! みなさん、おわかりでしょう?
あれこれ買った本のなかの、2冊がこちらです。
この2冊は、どちらも本屋さんで買ったものではありません。
恵比寿にあるギャラリー、LIBRAIRIE6 / シス書店で購入しました。
美人オーナーの佐々木聖さんとは、ひょんな縁から知り合って気になる展示があると足を運んでいる、お気に入りの場所です。
自分はシュルレアリスムが好きなことに気づかせてくれたのは、ここLIBRAIRIE6 / シス書店であり、佐々木聖さんでした。
訪れたときは 「山尾悠子 歌集『角砂糖の日』出版記念展 + 合田佐和子/ まりの・るうにい/山下陽子展 」の会期中。
山下陽子さんは私のとても大好きな銅版画家さんで、展示はなるべく見に行くようにしているのです。
そして、もうひとつの目的は、 山尾悠子さんの 歌集『角砂糖の日』を買うためです。
この『角砂糖の日』の版元は、LIBRAIRIE6 / シス書店。
1982年に刊行され、絶版、幻になりかけた小説家・山尾悠子さんの歌集を新装版として復刊させたのです
「書店というからには、いつか本を出してみたかったの」
という女主人の言葉が耳に残っています。
そして、金子國義さんの本も関連展示をLIBRAIRIE6 / シス書店で行ったという縁の1冊なのでした。
というわけで、いつかのお買い上げ本。
⚫『金子國義スタイルブック』 金子修・岡部光 編著 アートダイバー
⚫『角砂糖の日』山尾悠子 LIBRAIRIE6 / シス書店
でした。
本屋さんで出会う本。
本屋さんじゃない場所で出会う本。
どちらの出会いも、素敵なものです。
BOOK014 『京都・東京 甘い架け橋』 甲斐みのり・奥野美穂子
文筆家でLouleの主宰者でもある甲斐みのりさんと、京都にある喫茶店・六曜社のウェイトレス、奥野美穂子さんの二人が季節ごとに贈りあったお菓子と手のをやりとりをまとめた1冊。
メールにブログにTwitterち次々に登場するコミュニケーションツールのおかげで、今、この瞬間を誰かに伝えることは決して特別なことではなく、日常になっています。
その一方で、誰かに手紙を書く機会がどれだけ減ったことでしょう。
それ故に、二人の心のこもったやりとりはとても新鮮に映ります。
スーパーマーケットには冬でもトマトが(旬は夏)、夏でも大根が(旬は冬)が並び、ファッション以外の部部分で季節感や旬を感じる機会も少ない昨今です。
手紙とともに、二人が贈りあうお菓子から溢れる日本の四季の美しさに目を奪われました。
そしてページを閉じて気づかされるのです。
二人が贈りあっているのは、手紙やお菓子という“モノ”だけではないということに。
本書は贈りあったお菓子やそのお菓子を買うことができる店名が掲載された、一種のガイド本的要素が含まれているにものかかわらず、不思議なことにあまりカタログを見ているような気分にさせられることはありません。
それは、相手のことをたくさん考え、二人が重ねてきた歳月や、その間に起きたさまざまな出来事に思いを馳せながら贈り物を選んでいるので、単なる商品紹介の枠を超え、互いの気持ちが行き交う様が伝わってくるからでしょう。
贈っているのは、物ではなく気持ちだと伝わってくるからでしょう。
私の母は携帯電話が大の苦手でした。
「何かあったらメールしてね」と言い聞かせているけれど、メールが来ることは滅多にないのです。。
その代わり、母お手製の絵手紙が毎度、郵便受けに届けられていました。
そして、
「これくらいなら、メールくれればすぐ用件は済むのに……」
と思いながらハガキを読んで、手紙のお礼とその返事をメールで返してしまっていたことを、実はいま公開しています。
もともとは手紙好きだったのだから、他愛のない日々のことをお気に入りの便箋に綴って送っていたら、きっと忘れられない言葉が残ったり、母の気持ちにもっと触れられたりしたはずです。
そんな反省をいかして、いつもメールで済ませている友人にいきなり手紙を書いてみようかしら。
プレゼントを贈るのはちょっと照れくさいから、まずは手紙からはじめてみよう。
そんな気持ちにさせてくれる、あたたかな1冊です。