読書する女

本を読むこと以外、すべてのことを放棄してしまいたいエディター&ライター、Aliceによる本の話、日々のこと。

リトルプレス&zine蒐集をやめます宣言。

訳あって、先週は自宅にある本の整理をしていました。

あまりの量に自分でも驚きながら、私は

「今後、リトルプレスおよびzine関係は蒐集しない」

と決意するに至りました。

 

我が家には、恐らく人よりほんの少しだけ多めに積読本があります。

積読本ですから、もちろん読むことができていません。

そんな本と雑誌が150冊ほどあるのです。

 

そしてこれに加え、かれこれ10年以上集めているリトルプレスとzineがあるわけです。

こちらは、見ただけで冊数を数える気力も失せるほどの分量。

 

積読本と大量のリトルプレス&zine、素人の分際でよくこれだけ蒐集したものです。

 

本や雑誌を読めていないのですから、もちろん、リトルプレス&zineもそのn9割がたが未読です。

そしてはたと思ったのです。

本にくらべ、作られた時期の潮流や、作った人の瞬間の思いなどが詰め込まれているケースが多いリトルプレス&zine。

積んでしまっていては、“旬”を逃してしまっているのではないかしら? と。

(もちろん本のなかにも、その時々のはやり廃りや今この瞬間について綴られたものはあります。でも、私の読書傾向として、その手の本に手を出すことがあまりないのです)

 

だからこその「蒐集終了宣言」なのでした。

ものを集めることに取り憑かれたことのある方なら、きっとわかってくださると思うのですが、蒐集癖のある人にとって、それをやめるということはとても難しいこと。

かなりのエネルギーがいります。

 

ただ今回、本から派生して他のものもあれこれ整理していて思ったのですが、生きるということはモノが増えていくことでもあります。

知らず知らずのうちに、増えているもの。

でも、そのなかに本当に必要なもの、手元においておきたいと心から思うものがどれだけあるのかを考えてみたら、意外と少ないのかもしれません。

 

ちょっと前までよく聞いた“ミニマリスト”を目指すわけでも、ものをなるべく買わずに「捨てる生活」を送るというわけでもありません。

本はこれからも、たんまり買いつづけます。

リトルプレス&zineをきちんと味わうことができないのでは、リトルプレス&zineの作り手さんに失礼ですもの。

 

産みの苦しみならぬ、集めずにいる苦しみ。

はたして、どうなることでしょう。

 

※いま手元にあるリトルプレス&zineの紹介はつづけます