私が、Twitterやブログであまり言葉を書かなくなった理由。
このところ、めっきりブログの更新も、Twitterへの投稿もしなくなったなと薄々気がついてはいました。
私は、その理由を“忙しさ”にあると決めつけていたのですが、もしかしたら、違うのかもしれません。
たしかに、このところ、とても忙しい日々を送っていました。
人材不足に悩む某女性誌の編集部のお手伝いをするようになって、1年半少し……。
月に2回の校了、月に4回の企画会議に追われ、本を読む時間もとれない状態がつづいているのは事実です。
でも不思議なことに、本を読めないストレスはあるものの、言葉を書けていないストレスはあまりありません。
ちょっとした思いつきや、ため息とともに飲みこんでしまいがちな感情を投稿していたTwitter。
Twitterでは書ききれない、少し大きめな想いや記録はブログに。
そうすることで、私は感情や思考を整理して、なんとか自分をたもっている部分もあります。
書くことで、私は私でいられていると言っても過言ではないくらい。
ところが、Twitterやブログの投稿がめっきり減っているのに、私は自分でいられているし、いろんなことが整理できている。
その理由は、1つしかありません。
Twitterとブログ以外の場所で、言葉をたっぷりと書いているから。
そう、手帳です。
2017年、私は久しぶりに手帳を「ほぼ日手帳 カズン」に戻しました。
その重さと、“ほぼ日手帳フィーバー”的なものが世間に溢れていることに辟易して、4年ほど手帳を浮気をしていたのでした。
近年になり、世間は別にしても私の周囲における“ほぼ日フィーバー”は、「使いこなせなかった」という多くの声とともに収束。
復活させる決意を固めたのです。
そしていざ使いはじめてみると、私はこの相棒を手放せなくなりました。
会社でも、家でも、その日のページを開いた状態でいつも手元に置いています。
最近では、寝る前の枕元でも開いているほど。
そう、私がTwitterやブログで言葉を書かなくなったのは、手帳に書くようになったからなのです。
しかも、手書きの効果は大きく、感情の発散効果も思考の整理効果も格段にアップしている様子。
そのときの感情のままに手帳に書きなぐった文字を眺めながら、Twitterやブログがこの世からなくなってしまったとしても、私には“紙に書く”という最終手段があるから大丈夫。
ほっと胸をなでおろすのでした。