読書する女

本を読むこと以外、すべてのことを放棄してしまいたいエディター&ライター、Aliceによる本の話、日々のこと。

玄関に置かれた火鉢。

編集や執筆の仕事をしていると、パソコンの前でずっと調べ物をしたり、原稿を書いたり、資料を読んだりしている時間が多くなるので
日々、運動不足を感じます。

という訳で、今日は自宅から徒歩30分くらいのところにある亡き祖父母の家のあった街まで歩いて出かけてきました。

通っていた小学校までの通学路や好きだった男の子の家の前、商店街……。
記憶の中にある路地を歩きながら、変わった風景、変わらない風景に一喜一憂されられました。

祖父母の家が近づいてきて、私は立ち寄るか、ぐるりと遠回りをして、見ないで帰ってしまおうか、すごくすごく悩みました。
なぜなら、祖父母の家がいま、どうなっているのか、私は今日の今日まで知らなかったからです。

祖父が亡くなり、祖母がひとり残されたとき
幼い頃の思い出がたくさんつまった祖父母の家は売りに出されて、人の手に渡りました。
あまりにたくさんの思い出が詰まったあの家があの場所になかったら、仕方がないことだと分かっていてもすごく傷つくような気がします。
まるで、私の思い出まで、他人の手で壊されてしまったように感じてしまいそうで怖かった。

でも、本を読むのが大好きで、いつも穏やかな笑顔でそばにいてくれた祖母を思い出しながら
ゆっくりゆっくりと道を歩き、
「きっと、おばあちゃんなら、家がなくなっていたとしても
笑ってるわ、きっと」
と思い直して、行ってきました。

その場所にあったのは、あのときのままの家でした。
あの時と違うとしたら、とってもきれいに庭が手入れされていたこと。
一番大きかった真っ白な花をつけるこぶしの木は、あの頃より少し大きくなっているようでした。
そして、玄関の屋根の下あたりに大きな火鉢が置いてあったこと。
中を覗き込んだら、金魚が冷たい水の中を、すいすい泳いでいました。
見覚えのあるその火鉢は、おばあちゃんが庭に置いていたもの。
同じように、金魚を中で育てていたのです。

どんな方がこの家で暮らしているのか分からないけれど
「私たちの思い出がたくさん詰まったあれこれを
大事にしてくださってありがとうございました!」
と心の中で大きな声でお礼を言って、深く深く頭を下げて帰ってきました。

そして思ったのでした。
家があるとかないとか、風景が変わったとか変わらないとか、そういうことじゃないんだな、って。
思い出は、ちゃんと私の中にある。
だから、どんなに街が変わっても、どれだけ時間が経っても
大丈夫。